塾長のDNA-ルーツを訪ねて!
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塾長の苗字は、「大藪」ですが、父の実家は筑後市井田にあります。今年、従兄弟が亡くなりましたので、久し振りに父の故郷に行く機会があり、父のルーツ、すなわち私のルーツを散策しました。

訪れてみますと、以前、大藪家の玉垂神社は随分と傷んでいましたが、かなり修復されていましたので驚きでした。

この小さな玉垂神社、実は、日本三大火祭りの一つとされ1600年を超える歴史をもつ火祭りの久留米市大善寺玉垂宮の方が分社と言うことなので分社の方が発展していったということになります。

私たちの祖先を大切に守って頂いている氏子の皆様には感謝申し上げます。
アベンシスに乗って来て玉垂神社に、到着したところです。

周りは田圃ですから、ここに車を留めてお宮を参拝しました。

丁度、車の左斜め後ろの竹林の中に、
大藪家のご先祖の起点が祀られています。
この門は、今も昔も変わっていませんね。
なんとなく懐かしい感じです。
小さい頃は、この神社の名前を知りませんでした。
村の鎮守の神様の住まいです。
以前より、きれいになっていました。
補修されたのでしょう。
この囲いは、再整備をして作られたものです。
それぞれ、二体のお人形さんが飾られていました。雨に濡れないように、硝子がはめ込まれていましたから、太陽の光で反射して写ってしまいました。
この石碑は、現在お宮の横に移設されたようです。以前の記憶では境内の中にありました。

八女一帯の教育者として、この地で教育指導を行っていたのです。そうした教え子がこの石碑を建てました。

石碑には、「大藪先生記念碑」と書かれています。
恐らく、明治に入ってからのことだと思います。

恐らく、神主をしながら寺小屋みたいなところで勉強を教えていたのかもしれません。

いつかは、私にも誰か?こんな石碑を建ててくれるかも知れませんね?(笑)
鳥の木彫りですが、飛鳥かな?不死鳥かな?
私の母方は、祝原家ですが、鯰田の氏神、皇祖神社の有光家(宮司)とは近い親戚です。
ついでに、母方の皇祖神社の写真を掲載しておきます。

鯰田の氏神、皇祖神社は1509(永正5)年御笠郡寶満宮の御尊神を勧請しており、主御祭神に玉依姫命を祭祀している。1869(明治2)年までは寶満宮と称していたようですが、神功皇后と応神天皇を合祀しているところから同年に皇祖神社と改称したとされています。
そこに伝わる獅子舞は、京都・岩清水八幡宮から旧筑穂町の大分(だいぶ)八幡に伝わったものが伝播したと考 えられているようです。

演舞的要素が強い獅子舞です。有光家(宮司)に伝わる昔の村の諸祭記録文書によれば、「1745(延享2)年7月7日定日、獅子祈祷」と 明記されており、それ以前から行われていたと考えられ、鯰田地区に古くから伝わる夏越しの祭祀として伝えられてきています。
この親戚の有光家には、小さい時分よくお正月のときなどにお年玉貰いに行っていましたね。(笑)
そして泊まったりしていました。
昔は、「村の鎮守の神様が〜」と、お祭りで皆が集って秋祭りをやっていたと思います。